金融政策は誰のためにあるのか?:国民生活か、金融市場の都合か

世間では、メディアや一部の評論家が「日銀は早く金利を正常化すべきだ。このままでは円安とインフレが進み、債券市場も混乱する」といった主張を繰り返している。一見もっともらしく聞こえるが、本当にそうだろうか。
私は、この意見に断固として反対である。マクロ経済学の教科書を開いてみてほしい、日本銀行をはじめとする中央銀行の金融政策が第一に考えるべきは、失業者を一人でも減らし、国民の所得を増やすといった「国民経済全体の安定」である。国債市場の機能がどうだとか、一部の金融専門家の懸念といった、いわば枝葉末節の問題に、政策の根幹が左右されてはならない。これは、金融政策の「目的」と「手段」を取り違えた、本末転倒の議論なのである。
目的と手段を混同してはならない:重病患者と副作用のたとえ
この問題を理解するために、一つたとえ話をしよう。
2012年末、ここに、「デフレ」という重い病気にかかった患者がいる。この患者(日本経済)は日に日に衰弱し、このままでは命に関わる状態だ。医者(日銀)は、この命を救うために「異次元緩和」という強力な特効薬を投与することを決断した。
この薬には、確かに副作用がある。投与を続けると、体の特定の機能(債券市場)に少し歪みが生じるかもしれない。これを見た周りの人々(従来の日銀の取り巻きの評論家)が、「そんな薬はすぐにやめろ!副作用が怖い!患者の体がおかしくなるぞ!」と騒ぎ立てる。
しかし、考えてみてほしい。医者の目的は、副作用をゼロにすることだろうか?いや、違う。患者の命を救うことこそが絶対的な目的である。副作用は管理すべきコストではあるが、それを恐れて治療そのものを放棄すれば、患者は確実に死んでしまう。
2013年以前の日本は、まさにこのデフレという病で死にかけていた。当時の白川総裁のもとの日銀による円高デフレ政策により、就職氷河期が再来し、失業者が溢れ、企業の倒産が相次ぎ、国民生活は困窮していた。この「現実に存在する、確実な危機」を前にして、将来起こるかもしれない「不確実な副作用」を過度に恐れるのは、合理的な判断とは到底言えないのである。
元官庁エコノミスト、元参議院議員の金子洋一が投資に役立つ景気に関する情報をお送りしています。ここから先は読者登録(無料)が必要です。どうかご登録ください。